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旅人流について考えている。 この世の相対。まじめな人生と流れる人生。この、二つの相反する価値をバランスとる旅人。 そのような人生のあり方を考えている。 流れる旅人は、昔から数限りなく見てきた。カオサンでも、タメルでも、流れたままの漂白のバックパッカーは目的を見失い流れ続けている。旅すること自体が目的に変質して、その意味を失いながら流れ続けている。 東京の街角を見つめれば、ネクタイを締めた人の群れが、交差点を行き過ぎてゆく。まじめな人生。仕事があり、家族がいて、帰る家があり、そして、日々そこに戻ってゆく。 相反する価値観。 片側に、ゆれ、片側に、また、ゆれる。そのような、ゆらゆら。 そういう、存在を旅人流として定義して、そのような生き方を、この世でどう実現するかと言う、危うい綱渡り。そのような生き方を、旅人流と呼ぶ。 かって、かなりの数の旅人流達人を見てきた。其の実現方法は千差万別である。 学校の先生をしながら、休みには山を流れている旅人や、自分で会社を運営しながら、仕事を旅に接続しているのやら、あるいは、お坊さんであり、あるいは、サラーマンであったりする。 パック旅行を拒否して、バックパックを背負いながら、短いたびを流れ続けている。片側の重荷と片側の自分の時間。そのような、存在を旅人は良しとする。 安逸な日々と安易なパック旅に流れるのもどうかとも思うし、旅だけに流れているのも、どうかとは思う。単純な、責任放棄ではないかと思わざるを得ない。 ところが、この国のシステムのあり方はなかなか、旅人流にはハードなシステムを採用していて、休みが長く取れないとか、あるいは、他の抵抗要因がある。ここを、うまく、すり抜けてゆく極意があれば、一派を構えられるに違いは無い。其の方法こそを探し出してゆきたいと思っている。旅人でいたいが、それだけでも、いやだと思う人のための流派が必要だと思う。 究極は個別であるとしても、其の、何らかの共通点を整理して、そして、原則と言うものが存在するのではないかと思う。其の、原則を、過去の旅人流達人を見つめながら探してみたいと思っている。
by tabibito9999
| 2005-12-07 01:46
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