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(K国サン、お約束の、ネパール漂流記、始めます。) 1 村からの伝令が、出発の前日、ホテルへ突然やってきた。 ――大変だ、3日前にゲリラ80人がやってきて、あんたの家の敷地でキャ ンプ張った。軍の駐屯地焼いて、税務員一人吊るし首にしちまった。で、 翌日、逃げた軍の野郎と一緒に政府軍200人が追ってきて、村は混乱して いる。 そう、知らせてきた。若い兵隊5人ばかりの小さな駐屯地は、私の敷地 を見下ろす場所に、いつの間にか出来上がっていて、そして私の家を監視 していた。訳のわからない外人が、山の中に入りこんで、あれやこれや、勝 手にやっているのは、何分、目立ちすぎていた。 ーー税務員って、彼か? ーーそりゃ、そうだ。村どころか、あの地域全体で彼一人しかいない。 村にたどり着くと、歓迎の人数が数千人になるときもあった。長い警棒と古 めかしい銃身の銃を持って、いつも、群衆整理をしていてくれていた、背の 高い無骨な男を思い出した。 現地責任者が、つぶやいた。 ――すこし、まずいな。。。。 強気でなる男も、今回は弱気だった。それだけで、匂いは伝わった。 。。。。。 今回はロシア製の軍用機を借りていた。 通常の観光用の5人乗りでは、山の頂上すれすれを飛ぶときに撃墜される 可能性があった。観光用であれ、軍が全てのヘリを徴用している。ヒマラヤ に、たどり着くには何十にも山脈が横に流れ、それを一枚一枚乗り越えなが ら、やがては最高標高のヒマラヤ山脈にたどり着く。で、高高度を飛行でき るプロペラ2枚仕立ての20人乗りのロシア製の大型ヘリを借りていた。こい つなら、銃の射程を乗り越える高高度で飛べる、と責任者が言った。 毛派のゲリラの襲撃で、その年は既に政府関係者4000人が殺害されてい る。そこに、我々の村でも一人の犠牲者が追加されたということだ。 男は、続けた。 ――ゲリラのボスが、あんたに会いたいと言って去っていった。ゲリラ側にも 村の出身はいる。 私は、何があれ、politicなアクションは取らないことを信条で生きてきた。既 に、国会議員一人くらいなら送り込める形は出来ていたが、われわれの想 定の外だった。 。。。。。 友人が、一度、私のヒマラヤの家に行ってみたいと言った。 そこから、此の旅は始まっていた。 ――だいじょうぶだろうか。 彼の心配顔も理解できる。 日本には、日常的に戦闘は無い。戦闘の現実を理解しろといっても、それは 無理だ。新聞紙の向こう側に文字が躍るだけだ。遠い世界でしかない。が、 ここでは、それは、現実だ。既に、政府軍が把握できるのは首都、カトマン ズ周辺でしかない。それ以外の場所ではゲリラは自由に動き回っていた。 ――どうだろうか、いけるか? 私は責任者に訪ねた。 彼は、少し、時間をくれ、といった。 私は、夕方にもう一度会おうといって、別れた。 それまでに、取り敢えず、カトマンズのめぼしい場所を案内する作業が残っ ていた。そして、夕方まで、それに専念した。何せ、ここも、世界遺産だ。見 るものは多い。時間を潰すには最適な街だった。 (続く)
by tabibito9999
| 2007-02-11 19:05
| ネパール漂流記
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