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30年以上も前に、私は、まだ19歳で、孤独にユーラシアを旅していた。 其の旅の途中、ルドンの絵がメインの美術館があるというので、オランダの ユトレヒトの町を訪ねた。 私も日本も貧しかったから、(一ドル360円の時代で、初任給は2万程度だ ったと記憶している。)当然ながらユースホステルに宿泊をした。そこで、ロ ンドン郊外の中学校から自転車旅行でやって来ている集団がいて、そし て、結構仲良くなった。其のときの一枚の写真が上の写真である。 オリンパスのペンと言うハーフサイズカメラで、35mmフイルムの半分のサ イズの大きさで写しこむカメラで、フイルム代金や、現像代金が半分に節約 できるので、結構はやっていたと思う。リバーサルで撮ったが、最近、懐か しくなってフイルムを引っ張り出したが、色はあせて見れたものではなかっ た。が、スキャンしてレタッチソフトを使うと、色が多少は戻った。コンピュータ ー恐るべしである。 その後、自転車でロンドンに向った折に、イギリスに来る機会があれば、学 校まで訪ねておいでと言われていたので、郊外の小さな町に出かけた。当 時は日本人はまだヨーロッパでは珍しかったので、授業を振り替えて、日本 について説明するように依頼され、日本という国について一時間教室で講 演をした。夜は、校長先生の家でたくさんの人が集まって歓迎会があって、 そこで,其の夜は泊めて貰った。 二人ほど特に親しくなった中学生がいて、その後、しばらくは文通が続い た。 .......... それから30年以上がたって、再びロンドンを訪ねる機会に、ロンドンに住ん でいる友人に頼んで、昔の住所を頼りに行方を探してもらった。 あいにく、文通をしていた中学生の方は行方がわからなかったが、先生の 一人は近くの学校に今も勤めていると言うので、事情を予め説明してもらう と、会ってもいいとの事だったので、田舎町まで訪ねて行った。たどり着くま でに汽車の中で顔を思い出そうとしても、まったく思い出せない。当たり前 で、遠い遠い昔に一度しか会っていないし、顔など変わってしまっているに 違いがない。 汽車が駅に着くと、改札近くに一人の老人が立っていた。向こうも、私の顔 を値踏みするように見つめている。不思議な邂逅で、お互いが、お互いの昔 の記憶を引ぱり出そうと脳の中で格闘している。記憶が接続しなければ、た だの、他人である。 ともかくも、と、家に招待されると、白髪の上品な、そして少し呆けた奥さん が、イギリス式のもてなしで紅茶とお手製のクッキーを出してくれてあれこれ 話しかけてくれるが、其の英語が余りに見事で、ちっとも意味が理解できな い。ぼろぼろに使い込んだ本を出して来て、それは、鳥類図鑑であるらしく、 自宅の庭にやってくる鳥の名前をしきりに説明してくれる。相槌を打ちなが ら老人と昔の話をゆっくりと重ねる。 質素で、そして堅実なイギリス人気質の色濃く出た家で、暖炉の大きなまき が燃えている。マキは近所の森から取ってくるということで、庭には、高く積 み上げられた薪が無造作だった。 彼も、近々、アフリカのガボンに旅に出るということで、こちらも、南アフリカま での旅の途中と言うことで、マラリアの予防の話に花が咲いた。 2時間もたった頃、お互いに、ぼんやりと記憶の向こうから面影が迫ってき て、おぼろげながらも30年の時間を埋めにかかる。 人生で、2度だけであった、二期二会。 多分、もう一度会うことはないだろうとは思う。 ロンドンに戻る汽車の中で、うっすらと、涙が出たのを案内役の友人に不覚 にも見られた。 不条理の中に、この世は、何か、で満ちている。満ちているものが、今は、 多少はわかる。 30年以上の歳月の中で、気づいた、もの、も、たっぷりとある。
by tabibito9999
| 2005-12-16 02:42
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