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下手な小説を読むよりは、無機質な年譜というのを、じっと見つめているほうが面白いし、その人間が理解できる事が多い。評論や、もったいぶった解説では解説者の匂いが混じるから見誤ることも多い。 今は、ヘミングウエイの年譜を見つめている。 腰の据わらない人間は,この世に、そこそこいる。 彼は,その典型のようで、ゆらゆら、の性格らしい。 生涯に4回の結婚をしている。最初が22歳で最後が46歳の時。そのほかに数度の恋愛を重ね、一箇所にとどまることが無い。アメリカ、キューバ、アフリカ、ヨーロッパ。良くとどまって、一箇所に6か月。やたらと動き回って、しばらくとどまっては、本を書き上げ、また動く。 父親が猟銃で自殺、彼もまた61歳で猟銃で自殺。最後は、うつ病がひどかったらしい。母とは21歳で勘当されて、51歳のときに彼女は死去したが、その葬式への列席を彼は拒否している。見たくも無かったという事かもしれない。反転すれば、愛しすぎていたのかは旅人の想像の域を超える。 笑わないではいられない、数奇にも恵まれている。 始まりは、18歳で従軍、足に重症。数度の交通事故。止めがアフリカのケニヤからベルギー領コンゴに向かう途中、セスナが墜落。この時点で肩を骨折、それを救出に向かったセスナが今度は着陸失敗で炎上、ここで致命的な損傷を負っている。幸運なのか、不幸なのかまったくわからない。救出されたことは幸運で、それが一転、より大きな不幸の始まりという形だ。晩年は事故の後遺症もあって、高血圧、不眠症に悩み続け、欝に入り込み、自殺した。 無機質な年譜を簡単になぞれば、こういうことになる。 ここからは、こちらの経験を踏まえてての理解ということになる。この経験の差で、さまざまな各種評論が溢れることになる。本人自身が、それを「ケニヤ」という遺稿の中で自分に関する評論の数々をコテンパンに批判しているから間違いが無いだろう。 もうしばらく、この年譜を見つめていようと思う。身につまされることも多いし、心の揺れも理解できるような気がする。 彼も旅人、tabibitoも、旅人、である。 彼は賢い旅人、私はアホな旅人ではあるけれども。 私にとって一番理解できそうな年譜には違いが無い。 ▲
by tabibito9999
| 2006-03-30 05:10
100テーマほど、何か書きなぐってみようと始めたブログも、予定はオーバーした。
もうそろそろ、という気もするが、もうちょっと、という気もする。 静かに書き殴っていると、何故か、結構、暗い色に染まっているようで、冗談流、としては、やや、暗すぎるかとも思っている。日常が笑い転げているだけに、閉じこもっている時は、少々鬱気味なのかもしれない。 まったく読まれる事を想定しないで書きなぐっていると、こうなるのかもしれないし、それ程の人が読んでいる訳でもない気安さもある。 読まれる事を想定すると、読人が元気が出るのを、という事だろうが、それがエチケットなのだろうが、どうも逆効果の様でもある。 読人が、気勢がそがれる様な文章で申し訳ないと思っている。 少なくとも、人生の応援歌ではない。 どうも、まったく、自分のエゴイスチックなポジションでしかないようだ。 旅人、反省!! ▲
by tabibito9999
| 2006-03-24 19:11
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by tabibito9999
| 2006-03-24 17:19
![]() 古い資料を整理していると、昔の、夢、幻が.ひょっこり顔を覗かせた。 ヒマラヤの麓に、隠居場、兼、ホテルを作って、のんびりと山でも眺めながら 隠遁生活を夢見ていた頃に、友人の建築家に作ってもらったイメージ図面 が色が変わって出てきた。パリの小さなシャトーをイメージしたもので、図面 が出来上がった頃、ネパールは今よりは無難な国家であった。 ![]() darding県から、どんどんヒマラヤに向って進んでゆくと、連峰の中で、そこ そこの標高を誇るK2にいたる。ヒマラヤ登山で有名な山である。こちらの 家からトレッキングで約6泊程度の道のりであるが、この図面の拠点から、 小さな旅籠を一泊の距離ごとに作り上げて、新しいトレッキングコースを作 れば面白いと思い描いていた。途中には、まだまだ観光にあらされていな い素朴なゴンバが点在して、野性を味わえる。 ![]() カトマンズで建設業者と打ち合わせをしたが、作り上げることには運搬とい う厄介な問題は存在したが、(歩いて運ぶか、ヘリで運搬する以外にはな い)、物事を不可能にするだけの問題は存在しなかった。が、突然、何年か 前にゲリラが80人やってきて、私の家でキャンプをはって、近くの小さな軍 の駐屯地を焼き払い、税務員を絞首刑にして木からぶら下げて、次の日に 政府軍200人がやってきて同じく私の家でキャンプを張って、追跡していっ た。その日から、此の辺りも政治的な狂騒の地域と化して、いまや、無政府 状態に陥っている。 今のところは、夢のまた、幻になってしまった、私の中の古図面である。 前に進むには、政治的な安定が必要で、それが、ネパールの問題の全て であって、最大の課題である。 いつの日か、落ち着くのだろうが、さて、その折に、こちらが生きているかど うかは、はなはだ心もとない。 tabibito,さてさて、何処で、隠居生活を流すか? 大いなる、個人的疑問が、夜の闇によぎる。 ▲
by tabibito9999
| 2006-03-23 19:04
| photo & ネパール
旅本屋まで、旅をして、店頭で珍しくヘミングウエイの新作を見つけた。新作といっても、本人はとっくに亡くなっているから、遺作か何かが出版された、ということだろう。
前回旅の最後の時期に、食い物の不規則をして持病の十二指腸の潰瘍を再発させたらしい。少しだが、ちくちくと痛み続けているので、ここ2日はかゆを中心にして蕩ける食い物ばかりを胃に運んでいる。で、やや痛みが去ったような気もしている。部屋ですることもなく、静かな日々を送っているので手持ち無沙汰で、こいつを買い込んだ。 ![]() ヘミングエイもケニヤが好きらしく、ナイロビに愛用のホテルがあって、そのホテルは何年か前に爆破テロに会っている。ヨーロッパ人ご愛用なところが標的になった理由らしい。確か、5つ星のコロニアル感覚のホテルであったと記憶している。 ケニアは私も好きな場所のひとつで、彼の目に映ったケニヤがどういう風景であったのかに興味がある。記憶に誤りがあるかもしれないが、確か、2次大戦後パリのリッツでアメリカの若い女性記者に恋をして、結婚してからケニヤに向ったのではと思う。 成し遂げられると、空虚が生まれる。その空虚が楽しみである。 今晩からの、時間殺しの餌にして、小さな魚でも吊り上げられれば幸いとする。 ▲
by tabibito9999
| 2006-03-23 17:56
昔、フランスというのは何処だったのだろうかと考えてみると、今のフランスの国土の6分の一ぐらい、パリ近郊のロアールという地方がフランスだったわけで、そのフランスがイギリスと戦っていたと考えたほうがいい。 パリ北西に向って海に面した辺りはブリュターニュ地方といって、昔、イギリスのアーサー王に追い出されたケルト民族が住み着いて独自の文化と国家を作り上げていた。その折の海に面した防御城砦都市として出来上がったのがサンマロで、今もその城砦を残して、内部は昔ながらの町が広がっている。 ![]() こういう佇まいはヨーロッパでは数多く残っていて、有名なのは地中海のマルタ島や、アドリア海のドプルブニクなどがあって、いずれも世界遺産として登録されている。周囲を城壁で取り囲んだ内部に狭い道で区画された都市が構築されて、石作りで石畳である。おおよそは、海に面していて海からの攻撃に備えて潮の満ちひきで島になったり陸続きになったりするところに出城が散らばって存在している。 ![]() サンマロもそういう形態の一つの典型的な遺物で、フランスでは近年脚光を帯びた夏の観光地になっていて、地中海側のニースやカンヌは有名だが、こちらも近くに、同じ城砦構造の教会、モンサンミッチェル、海水浴保養地としてはデナールなどを有して、有名ブランドも見られる地域になりつつあるが、まだ、アジア人観光客は襲来していないから、地中海側よりはゆったりとした感覚が残っていて、フェリー一時間あまりで、イギリスのジャージー諸島にも行けて、観光的にも盛りだくさんの資源が集積している。 ![]() ホテルも、まだまだ安価、物価も安価で過ごしやすい。 10年もすれば、やがて、アジア観光客の襲来を受けて、物価も上がり、5星ホテルもやってきて地中海側と同じように成ってゆくと思えるが、いましばらくは、穴場的存在であり続けるであろうと期待している。 ただ、このあたりのカジノは期待しないほうがいい。まあ、スロットルマシンがそこそこあって、場末の温泉街のパチンコ程度と思ったほうがよい。ルーレットが回って、活気に満ちているわけでもない。 ▲
by tabibito9999
| 2006-03-18 19:28
![]() ![]() モンサンミッシェルといえば、フランスの名所で世界遺産にもなっていて、ブリターニュ地方の海上の離れ小島に、城砦で囲われた教会がそびえているということで世界的にも有名な場所だが、大体はパリから観光バスで押し寄せて3−5時間ばかり見学して戻るというおきまりのコースになっている。昔パリで学校に通っていた頃でも学校の掲示板にツアーの張り紙がしてあったくらいで、昔からのフランス旅定番と言うことになっている。さしずめ東京に来た海外ツアー客が日光に押し寄せるよなものだ。 ところが、今年、サンマロから初めて訪ねてみたが、驚いたことに観光客の7割はアジア人でそのうちの90%は日本人という笑えない状況が展開されていた。それも若い女性のツアーで満ちている。一瞬奈良か京都の寺に迷い込んだような錯覚に陥る。土産物屋には日本人の従業員がいて、日本人観光客を馬鹿にしたような目つきで接客している。レストランに入り込めば店内には、これまた、日本の若い女性で満ちている。 このようなツアーも楽でいいのかもしれないが、田舎のローカル列車でたどり着けば、また違った旅情が味わえる。鉄道で訪れるものも少ないから、この世界遺産に最も近い上の写真の鉄道駅は、死んだような閑散とした廃墟のような駅で、若い女性がたった一人構内の切符売り場に陣取って仕切っている。一日に、それ程の便もなくたっぷりと田舎の旅情が味わえる。ここから教会のある島までは、バスが出ているし、タクシーでも2000円程度の距離にあるが、イージーオーダーの旅は素通りしてゆく。 ![]() 一日数本のローカル列車はやがて、ドルという町にたどり着いて終わる。このあたりの小さな中心でここで初めて幹線列車が通過するが、この駅も心もとない寂しさで、乗換えを待つ間も心の中を得体の知れない情感が吹き抜けてゆく。この駅から、レンネまでゆけばTGVに乗り換えてパリに戻れる。私は、ここから反対側に向って、日本人の殆どいないサンマロまで戻った。 経験では、観光名所は大まかに面白くないのが通例で、この小さな旅でも、ローカル列車の旅と、列車を待つ間の数時間ふらふら流れた小さな町の方が、よほど面白かった。 ▲
by tabibito9999
| 2006-03-17 17:05
フランス鉄道といえばユーロスターとTGVが有名だが、もう一つ面白い高速鉄道がある。その名をTHALYSといってパリとベルギーのブリュッセル、オランダのアムステルダムを繋いでいる。ブリュッセルまでは、ノンストップでたったの一時間で到着するということになる。
![]() 真っ赤な車体も印象的だが、この列車の面白さは,全て飛行機と同じシステムで運行しているところで、日本の新幹線とはまったく違う、しろ物になっている。まず運賃だが飛行機と同じやり方で、様々な割引料金が用意されていて、行きも帰りも日付や時間指定をする、(つまり飛行機ならFIXということになるのだろうが、)運賃は半額程度まで下がるということになる。日本の新幹線のように一律同料金というわけではない。で、行きの列車と帰りの列車を指定して乗り込んだ。 この列車も一等と2等があって、つまりはビジネスクラスとエコノミークラスがあって、ビジネスで乗り込むと座席がゆったりとしているだけではなく、飛行機と同様、スチュワーデスが乗り込んで、食事が無料でサーブされる。飲み物から、食事まで、まったく飛行機と同じレベルで、飛行機でおなじみのアルミ製のカートで運んでくる。 途中ノンストップだからできるサービスで、ブリュッセルまで一時間ノンストップで運行している。料金は飛行機よりは安く、かつ飛行場で待つこともなく、直行できるとあって、かなりの盛況ぶりで、特にビジネス客が目立っている。社内でコンピューターを開いて仕事をしている姿があちらでもこちらでも展開されている。アムステルダムまででも3時間で、これなら空港での煩雑なチェックインからイミグレまでを考えれば、遙かにTHALYSの方が快適に街の中心まで入り込める。 日本の新幹線など、グリーンに乗っても食事が付くなどということはない。せいぜい、お絞りがサービスされる程度で、中にはノンストップの列車を走らせて、食事サービスくらいはやらないと飛行機との競争では完全勝利とは行くまい。一時間に一本ぐらいは東京-大阪ノンストップで運賃体系もノーマル、格安などの運賃設定をし、若い女性にカートを運ばせて食事サービスくらいはやってもらわないと、そのうちにぼったくりで非難ごうごうと言うことになるのではと、思う。 このTHALYS,今後は路線も拡充されるということなのでヨーロッパ旅がもっと面白くなるのではと期待している。 ▲
by tabibito9999
| 2006-03-15 16:14
| PHOTO パリ案内
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