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たびちゃん、たびたび

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年に半年は旅している、たびちゃんの、投げ捨て、旅日記です。 写真の無断複製は禁じます。
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  • 楽しまない、街はない。
    [ 2006-09 -28 20:17 ]
  • 2006.9.28 スーパースリム
    [ 2006-09 -28 19:57 ]
  • st julien教会
    [ 2006-09 -27 03:17 ]
  • パリ
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  • たびちゃん、よれよれ
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  • ワジーー涸れ河
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  • カスバの女
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楽しまない、街はない。



楽しまない街は無い。



私は一時間、さまよって、その街の<へそ>を探り当てた。


いわるゆる旧市街の中に、<その>小さな広場があって、そして、中世が匂っていた。
カビの匂いのようなものが立ち込める中に、石畳の上、あっちこちらでパラソルが広げられ、レ
ストランやバーの椅子が並んでいる。その中を、生演奏でショパンのピアノ曲が流れていた。


瞬間、サルツブルグに似ているような気がして、そして、ブリュッセルにも似ていると思った。が、
向こうが王宮に囲まれた7階建てなら、こちらは庶民の4階アパートに囲まれているのが、いか
にもポーランドらしい、といえば言えなくも無い。


少なくても、ここは<ロシア>ではない。それは、すぐに解った。




。。。。。。。



小さな写真ギャラリーがあった。


小さな展示会が、取り残されていた。

絵で言えば超リアリズムというような写真が壁に4枚だけ残っていた。若い作風だ。3人でやっ
た展示会の一人の分だけが残っているらしい。単純に考えれば12枚でやった展示会なのだろ
うか。


私の微熱が、ささやいた。

そろそろだ、と。



私はギャラリーの男に向かって、此のギャラリーで個展をするには幾らかかるのかと尋ねた。
男は、何をバカなことを聞くのか、という顔で私を眺めかえしてきた。ギャラリーのオーナーが気
に入れば無料で良い、と男はいった。つまりは、こっちでは、売れれば幾ばくかを手数料の形で
取る形式なのか、と私は勝手に解釈した。



。。。。。。。。




私は油断した。



ワルシャワに到着したとき太陽が出ていたので、パリよりも遥かに暖かいので、驚いて薄着でホ
テルを出てしまった。日が落ちかけて一気に後悔が襲ってきた。底冷えが厳しかった。


あわてて、かろうじて持っていた薄手のセーターと、細身のカシミヤのマフラーを首に巻いた
が、それでは、間に合いそうも無い。



寒さが、私を刺している。




。。。。。。。。。




私は、男にホームページのアドレスを伝えて、写真の在りかを教えた。

興味津々と言う顔で男は画面に、私の小さな写真を浮かび上がらせて、ゆっくりとスクロールし
ていった。


初めて客観と主観の問題に、ぶつかって、どぎまぎした。


男は、ところどころでスクロールを停止して、そして、また速めていった。私の写真は今までは
主観であって、客観的評価に晒すのは初めての事だった。


ういういしい羞恥と、緊張が私を支配したのには、私も驚いた。


男は、オーナーに見せて、気に入ればメールで連絡するので、アドレスを残すように指示して、
そして、私の方は、やるとしても来年の事だ、と念を押してギャラリーを出た。




。。。。。。




今日も私は客観に騙された。


騙されて、そして、昨日一日のベッドの上での養生を意味の無いものにしてしまっている。
此の国では皮膚感覚が違うらしい。私には、分厚いセーターがいると思うのに、多数は、半そで
のTシャツ姿で平気で流れている。


視覚的に、それを眺めていると,私までが薄着になってゆく。私だけがオーバーを着て、そして
街の人間は半そでのTシャツでは、どうもバランスが取れない。


私は、今日は、私の主観で決める<べき>だった。私の、体なのだから。




。。。。。。。。




スイカの4分の一のサイズをスーパーで買って持ち運んでいた。


たったの2ズイチ。未だに、こちらの通貨の呼び方が性格に解らない。

ともかくも60円。ワルシャワからクラコフの汽車の一等を買って3000円。3時間の旅の木戸賃
が、だ。



始まってしまったと、つぶやきながら、私は王宮の広場の上でスイカを、ほうばった。
じゅるっと、口の中で溶けて、熟れすぎの味が広がった。


始めなければ、始まらない。


その始まりが、始まったという事だろうか?
もし、やってもよい、というメールが来たときは?


少し、これからの私のシャッターが重くなりそうな予感がした。




そして、日本に戻れば、新しい名刺でも作ってみるかと、悪寒の中で考えた。






今の私の名刺では、<今の>私には、あまりに、そぐわな過ぎる。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-28 20:17 | 漂流記

2006.9.28 スーパースリム




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年齢とともにタバコが軽くなって細くなっている。


旅の途中で見つけたスーパスリムなるメンソール1mg、こいつを吸い込んで旅をしている。吸っ
ているのか、いないのか、余りよくはわからない。身についた癖という奴だろうか。

ただ、もう、流石に、こいつから下は無い。ようだ、今のところは。


旅も軽いし、タバコも軽い。



。。。。。。。




今は、ワルシャワにいる。明日は、クラコフへ汽車で向かう予定。10月の4日までポーランド周
遊予定。



この街は、夜は凍えるが、<あたり>だ。



たびちゃん、ぶるぶる。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-28 19:57 | 日記

st julien教会



カルチェラタンの、奥の、その奥に、ひっそりと忘れられST JULIEN教会がある。



聖ジュリアンがどのような人で、そして、何時この教会が出来た等は、まったく知らない。ノート
ルダム寺院の賑わいが嘘のように、ここを訪れる人は本当に疎らだ。


その横の細い忘れ去られたような路地の傍らに、蔦が絡みついた壁に、隠れるように、ちっぽけ
で古ぼけた赤い扉があって、そこから昔は地下牢獄が続いていたらしい。


そこの地下牢は、一昔前まではシャンソン酒場になっていた。私も何度か訪れたことがある。最
後に、客に地下牢を案内するサービスがあって、窒息しそうな狭い階段をおり切ったところに鎖
でつなぐだけの蟻の巣のような地下牢が細長く続いていた。マリーアントワネットも一時そこに
繋がれていたらしい。


穴倉の端には小さな穴が床に開いていて、そこで首を切りおとして、そのままセーヌ川に遺体を
流したらしい。

地下から上る途中の部屋には、様々な拷問道具が展示されていて、一種異様な雰囲気があっ
た。地下をぐるぐる回っている間に、位置関係が朧にはなるが、一部はこの教会の地下辺りに
当たるのではと思っている。



。。。。。。




この前パリを訪れたとき、教会の入り口に、モーツアルトの演奏会の小さなポスターがかかって
いた。

その日は、かなり寒かった。私は暇つぶしに弦楽何重奏かの演奏を聴きに、何がしかの入場料
を払って入ったが、石つくりの教会では冷えが厳しかった。


演奏が始まって、私は、不覚にも涙していた。


演奏者の陣取った祭壇に向かって、昔、ぺらぺらの、おもちゃの指輪を投げ捨てて、<それ>
は終わった。



。。。。。。




サンミッシェルの噴水前の広場に、今はベンチは無い。

今は無いが、<そのとき>には、それがあった。その上で、私は、朝まで涙していた。昔も浮浪
者はいた。彼らと同じように背中を丸め、眠った。


パリ祭りの夜だった。街は賑わって、そして、華やかだった。


私は孤独だった。



私は、私だけが孤独であると、浅はかにも思い続けていた。その時には。




。。。。。。





私は、今日も、ふらりと教会に足を運んで、石の建物の内部にずらりと並んだ、一脚作りの椅子
の一つに座り込んで、かがみこみ、前の背もたれを抱きしめながら、正面の祭壇を眺めている。


地下から何者かの気配が湧き上がって来るような錯覚に陥る。





光は弱く、そして、やはり、暗い。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-27 03:17 | 漂流記

パリ




アラブ小娘と中年教会守衛の諍い、が始まった。




小娘は教会の入り口に座り込んで観光客から金をせびっていた。それを見かねた教会の守衛
らしき中年男が立ち去るように小言を言い始めたわけだ。カルチェラタンの隅っこにある、st
sevarin教会の入り口で<それ>は始まった。小娘は18歳余りで、かなり美しい、が、身なり
は薄汚れて、あっちこっち衣類が擦り切れている。


小娘の大きな声での逆らいに、教会の守衛が怒りに震え、強烈に追い払い始めた。顔は怒りに
満ちてかなり明白な嫌悪感があらわにでている。小娘の足の間に片足を入れて、そして顔と顔
を目一杯接近して何処かに行くように迫っている。


守衛の気持ちもわからなくは無い。回教徒の小娘が、事もあろうに、キリスト教会の入り口にス
カーフを巻いて小金をせびっている。それは執拗で、入り口を潜り抜けようとする観光客には明
白な妨げになっている。日本のお寺の前でキリスト教徒が物乞いするようなものだから、確かに
常識というものが欠けている。



。。。。。。。。




諍いの向こうでは、路地の上、若者二人がギターで弾き語りで、道行く人や正面のカフェに座り
込んだ観光客相手にシャンソンを聞かせている。なかなか、趣があって好評だ。人通りが固ま
って観客になっているのをみてもわかる。



。。。。。。。





かなりの言い争いの末に守衛は終に切れたようだ。小娘は果敢に男に挑んでいる。何が悪いの
か、というわけだ。大声で、あからさまに男を罵倒している。アレ トラバイエ!!!!
私は働いているだけだ、といっているのか、或いは男に、とっとと自分の仕事をしな、と叫んでい
るのかは私のフランス語の力では分からないが。


ここにもサラがいた。


美しい若いアラブの小娘は強烈な勢いで中年男に食って掛かり、男の怒りが頂点に達しようと
していた。


そこへ薄汚れた中年浮浪者がゆらゆらと通りかかった。右手は絶えず揺れて震えている。明ら
かにアルコール中毒だとは分かる。浮浪者はゆっくりと二人に近寄って、そして呂律の回らない
言葉で、この小娘は頭がおかしいだけだ、ゆるしてやりな、と守衛に話しかけている。頭がおか
しいのは、どうみても浮浪者のように私には見えている。


浮浪者は、また、浮浪し始めて消えた。




。。。。。。。。。。





歌は流れて、やがて、熊のぬいぐるみを被った道化までが登場して、そして、それを追いかけて
ロシアの軍服だとは思うが、身につけた軍人が面白おかしく熊を追いかけ始めた。歌と道化。ど
うも、この路上のパーホーマーはかなり凝ったプロのように思える。


私は教会の鉄柵に背中をもたれかせ、路上に座り込んで道行く人をただ見ている。空は蒼く、
そして天気は良い。


幾度と無く、かってこの路地を通って観光客相手の日本料理屋に通っていた。働きに、だ。同じ
ように、幾度と無くこの道を、すぐ近くの安宿に疲れながら深夜戻っていった。19歳のときだっ
た。


目の前には小さな壁にへばりついたような、間口2m程度の小さなスーパーマーケットがあって
今も続いている。威勢の良い老人は当然姿を消して若い男が立っている。息子の時代に成った
のだろう。針金仕掛けのコルク栓のリモナードも今はスプライトに取って代わられている。




。。。。。。。。。





守衛は完全に切れたようだ。


小娘の頬に、一発、強烈な、張り手が飛んだ。


それでも、小娘はひるむことなく、ポリス!!!!!、と叫びながら執拗に抗い続けている。美
しい顔が輝いている。何に向かって抵抗しているのか。


昔、サラは火炎瓶を警官に向かって投げ捨てた。どうにも成らない、憤りが爆発した。この世の
仕組みに、あるいは、ベルベルの血が騒いだのかもしれない。



。。。。。。




クマのぬいぐるみは消えうせて、ロシア軍服がチップを集めに回っている。かなり集まっている
のが、こちから見えている。私ですら立ち上がって、いくばくかのチップを投げ捨てようかと思う
ほどに、それはパリの街並みにマッチしていた。さりげなく、おしつげがましくもなく、そしてセン
チメントに満ちている。


何処かで、聞きなれた曲に変って、手拍子でも打ちたくなる軽やかなリズムが流れている。ちら
ほらと、手拍子も聞こえ始めた。




。。。。。。




小娘は口惜しそうに、尚も悪態をつきながら、名残惜しそうに、振り返り、振り返り、路地の向こ
うに消えてゆく。


私は、今は、傍観者だ。主役ではない。さまざまな思いは過ぎるが、沈黙して道端に座り込んで
眺めている以外には無い。


やがて20分もすれば、小娘はきっと、性懲りも無く帰ってくると思っていた。だから、そこに座り
続けていた。サラなら、きっと、もどってくる。




あの日と同じ空だった。





。。。。。。。。





歌は終わった。休憩ということらしい。



20分待ったが、小娘は、戻っては来なかった。



私は立ち上がった。



そして、かってのように、スーパーの袋にオレンジとミネラルウオーターが重くのしかかった荷物
をもって、14番地に向かって歩き始めた。






私は、やっぱり、この街が好きだ。それも、強烈に。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-25 00:46 | 漂流記

たびちゃん、よれよれ




列車で喧嘩が起こった。



どうも回教国は写真家にとっては居心地が悪い。


マホメットの教えでは写真を撮ると魂が抜き取られるとでも教えているの
か、写真を人々は毛嫌いする。で、カメラをぶら下げた人間は、観光客以外
に見ることは無い。といって、デジカメそのものは電気屋で売っているから内
輪で写真を撮って喜んでいるという事なのだろうと類推する。
で、一眼レフはほとんど見かけない。目立ちすぎるという事だろうか。店で見
かけるのは、コンパクトカメラばかりである。


観光地で、おばちゃん、子供相手にレンズを向けてシャッターを押すと、さ
あ、いくらか寄越せの大合唱が起こる。

この旅でもait ben hadoonuの路地で男二人が羊を捌いていたのに出く
わしたので、用心深く路地に流れた鮮血に向かってシャッターを押し込ん
だ、が、うるさげな<おばちゃん>が見ていたらしく、さあ、よこせ~~~の、
これまた、うるさいこと。こちらは人間に向けたものではない、路地に向けた
ものだと主張したいが、そこまでの言葉がでない。致し方なく1dhつまりは13円ほど渡すと、<おばちゃん>は、たったの此れだけかと呆れ返っる。こちらも意地でも1dhしか、たびちゃんは渡さないと決めた。こうなれば意地比
べになる。で、そこで、結局は収まった。

これで、たびちゃん、よれよれ。



。。。。。。。



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ともかくもcasa voyage駅から列車は空港に向かって発車した。そこで、久
方ぶりにニコンのD200引っ張り出して200mmの望遠で景色でも撮るかと
窓越しに遠景を連射していた。するといきなり近くに座っていた<おばちゃ
ん>が、わいわい騒ぎ始めて、私に向かって何やら強烈に叫んでいる。


すると別の席に座っていた男から何らかの叫びが、おばちゃんに向けられ
て二人の論争が始まった。

どうも、おばちゃんは写真を撮るなといい、男は、それぐらいはいいではない
かと反論しているらしい。男は私に向かってどこから来たと問いかけるから、
日本からだと答えると、ウエルカム日本人、とウインクする。

どこにでもある原理主義と現実主義の諍いという奴が私のために起きてい
る。

目くそ鼻くそを正しくしようとする原理主義的な考え方は特に<おばちゃん
>、老人に強い。そんな事はどうでも良いではないかというのは若者や男に
多い。世界共通の問題だ。

大体は、なんとはなく、まあまあ、でバランスを取りながら此の世の中は動
いている。モロッコでもビールは大体の観光客が通りすぎるところでは飲め
たし、若い女性もジーパン姿で歩いている。これも、原理主義的に考える人
間から見れば、けしからん、ということになるのだろう。


。。。。。



日本では、原理主義的には賭博は禁じられているがパチンコ屋が手入れに
合った話を聞いたことは無いし(誰が考えてもあれは賭博以外の何者でも
ない)売春は禁じられているが風俗店がまともに営業している場合に取り締
まられたのを見たことも無い。立ちしょんべんをして警察に連行されること
は、めったにはない。

日本では現実主義が色濃いが、特殊に、ライブドアのように検察に目の敵
的に取り締まられることはある。原理主義的には罪を犯したということなの
だろうが、現実主義的には、他にもっと悪いことをやっている奴がいるだろう
が、そっちは何故やらないのか?という素朴な疑問に苛まれる。


原理主義と現実主義が論争すると、どうも現実主義が分が悪い。片側は正
しくて、片側は正しくないからだが、正しいか正しくないかに価値を認めると
そういう事になる。その場に居合わせた人間も腹の中では男に共感を覚え
ていても、あらがってまで意見を言うのが面倒だということになる。

いわゆる本音と建前ということである。

建前では正しいことは評価され、腹の中では、こいつはアホか、ということに
なる。


どうも、建前が幅を利かせると、この世は極めて住みにくくなる。本音で70%の人間が反対であっても、建前では70%の人間が賛成であるという事になりがちだ。40%の人間は日和見なのが常識というものだ。

原理主義的な人間ばかりでは経済の発展はありえない。<経済活動その
もの>、が極めて現実主義的なものだからだ。教条的に経済発展を図った
共産主義は惨憺たる結果を残して終わった。


原理主義的な主張は、それによってもたらされる貧困を甘受する事の上に
なされるべきである。原理主義的社会というのは、たまたま石油の上に国
が乗っかっていたというのでなければ、通
常は貧困である。片側で金を寄越せ、かつ、教条的原理主義だけは叫んで
欲しくは無い、とい
つも思う。正しいが、嫌われる、という位置に落ち込んでゆく。


権利主張をして義務を果たさない人に原理主義が多いのが困ったものだと
思っている。正しいが、嫌いである。


貧しいが美しい原理主義、であって欲しいといつも思っている。
この考え方は共感を呼びうる。大草原の白い家、や、名も無く貧しく美しく、
等、グローバルに普
遍性を持ちうる。



。。。。。。


ともかくも、D200をカメラバッグにしまいこんで、その場の論争は打ち切る
のが、旅人としては一番の得策だと考えた。そうでなければ、旅ちゃんアメ
リカ、になりそうだから。

回教の教条論争をフランス語で、朝までやるほどの語学力も体力も残ってはいなかったから。
また、その意味も、たびちゃんには無い。



列車は揺れ、あいかわらず、微熱は続いている。




たびちゃん、よれよれ
▲ by tabibito9999 | 2006-09-23 19:32

ワジーー涸れ河



日本でワジの説明をするのは骨が折れる。


雨が降ると大きな河、雨が無いと小川。
砂の大地だけに水で激しく侵食される、で、断崖絶壁の地形があちこちで展
開されることになる。





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モロッコもだが、イランでも、チュニジアでも、アフガニスタンでも緑の無い荒
野では定番の風景である。この、断崖絶壁に立つのが好きだ。100mはえ
ぐられれているのも多い。


昔、見渡す限り何も見えない大地にいたし、この絶壁に座り込んで日の落ち
るのを眺めていた。二十歳の青春だった。立小便を絶壁から谷に向かって
思い切りよく出したら、しずくがきらきらと輝いていたのは今も覚えている。

谷では黒い羊を何百頭と追いかけるアフガン犬が小さく見えていた。




戻ってきたという、感慨はあった。
そのためにだけ、ここまでやってきた。微熱があって、妄想は広がる。








たびちゃん、うるうる。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-19 03:29

たびちゃん、ふらふら



パリを出るときに多少は悪寒があったが、モロッコに入って完全に風邪に変化したらしい。
今日はカサブランカまで戻った。流石に都会で携帯がつながったのにはほっとした。



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カサブランカ駅を出たところの、その名もターミナルホテルに泊まりこんでい
るが、共同便所とかで一泊1000円余りで、いかにもうら寂しい。南京虫で
も出そうな風情で意地で泊まることにしている。きたなさに比例して、旅のう
らさびた風情が出てきている。


部屋の隣がトイレとかで、時折にぎやかにも、ぶ~~~、ぷ~~~~~、ぴ
~~~~~~、轟音がする。最後にはアラブ式トイレのバケツから水が流
れる音がじゃ~~~~。

轟音を聞きながら、ミルクを飲みつつおとなしく回復を待っているが、どうも
思わしくは無い。

米を食っていないので困ったものだと日本料理など無いので中華を探した
が、探し当てた<東京桜>なる中華屋は昨日を持って閉店とかで、がっくり
で、やけくそ気味にイチゴシェークなんぞを頼んで血糖値をあげまくってい
た。



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やむなく薬屋に飛び込んで、こわごわ風邪薬買い込んだが、一つはどうもビ
タミン剤のようで一つは何やら怪しげなシロップでスプーン一杯を飲むべしと
宣言された。


明日は、やけくそで、列車で一時間もかかる首都ラバトまででかけて、モロ
ッコ唯一の日本料理屋である<富士屋>まで出かけてやろうかと、思って
いる。




たびちゃん、ふらふら、である。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-19 03:17

ait ben haddoue



昔、マリにトンプクトウ王国が栄えていたころ、ワルザザードの先をラクダの隊商が通過してい
た。都まで50日ばかりの旅であったらしい。多分そのときの一つの村の形がそのまま現存して
いるのが、このait ben haddoueで現在世界遺産に登録されているらしい。



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荒涼とした荒野に忽然と現れる要塞形式の村は威容であって、断崖絶壁を背に階段状に家々
が競りあがってゆくさまは、なかなかのものだ。




 




家々の作り方はマリの家に似ているように思える。






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銃眼がのぞく塔は、また穀物倉であったらしい。



かすかな水量の川べりには、人がそこそこ生きてゆけるだけの穀物はできたのだろうか???
あるいは交易で収入を得ていたのか。


土の王国の遺物が今も残っている。
▲ by tabibito9999 | 2006-09-19 02:58 | PHOTO 風景

カスバの女


カスバの意味は未だに正確には知らない。


多分、昔未開地に入植者が入りこみ、どんどん子供を作って増殖してゆきながら、外敵から身を守るために城砦化していった、住居ということで日本で言う豪族の住居と考えればいいのだろうか??

ひとつ、ぽつんと残ったカスバにたった一家族だけが住み込んでいた。女の多さに比例して男は一人だけだった。



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子供が広すぎる庭で遊んでいたが、女ばかりだった。





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▲ by tabibito9999 | 2006-09-19 02:42 | PHOTO 風景

ワルザザード 2


38度で、雲が一つもない強烈な日差し。さえぎるものが無いから、光は容
赦が無い。

壁があれば、日差しは切れる。で、人は壁のの前を、影の中を行きかうこと
になる。行きかったり、寝そべったり、天然のクーラーというわけだ。



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▲ by tabibito9999 | 2006-09-19 02:32 | PHOTO 風景
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